まさかの切迫流産

 子宮筋腫の件で心配はあったものの、何事もなく5ヶ月に入る。
季節は夏。主人の田舎へ帰省。先生は「車でゆっくり休みながら行って下さい」と言った。
でも、我が家には車がない。だから、高速バスで4時間。あまり気乗りはしない。何度か主人と話し合うが、妊娠前とナニも変わっていないからか、わかってもらえない。仕方ないので、主人に渋々付いていく。
「普通、妊婦になったら今までより大切にしてもらえるんじゃないの?」
待遇も妊娠前と変わらないようだ。
帰りのバスの中で、足の付け根より少し上の方がチクチクするような鈍い痛みがあった。
翌朝、起きても痛みは消えない。買い物に行こうという主人にそのことを話すと、露骨に不機嫌な態度をとられる。諦めて付いていく。
途中、痛みはさらに強くなり、歩くのが辛くなった。目的地へは主人1人で行って貰い、私は最寄りのファースト・フードの店で待つことにする。
主人が戻ってきて帰宅。痛みは消えないが、なんとか就寝。
夜中にお腹の中が焼けているかのような激痛で目が覚める。救急車を呼んでもらおうかと思うが、痛みが続きっぱなしと言うわけではない。痛みが弱くなった間に、ウトウトする。その繰り返しで朝が来た。
主人に仕事を休んでもらい、一緒にタクシーで産院へ行って貰う。
産院へ着く頃、痛みはだいぶ弱くなって、なんでも無いような感じになっている。
診察室で昨夜のことを話す。
お腹が張っているのでしょうと、張り止めの薬が処方される。
帰りは歩いて駅まで戻り電車に乗って普通に戻ってこられる。途中でファミレスによってうどんを食べる。
家に帰り、ベットで休む。
しかし、また、その晩、前の晩と同じ事が起きる。
翌朝、主人は出勤し、私は母に付き添ってもらい、再びタクシーで産院へ。
今度は昨日と違う先生。直ちに切迫流産と診断され、入院。
母が入院に必要なモノをそろえて持ってきてくれる。
痛み止めと張り止めの点滴が続く。

3日程は病人だった。動くのはトイレや洗面の時だけ。1日中点滴を付けっぱなし。嬉しいのは、毎日お腹の赤ちゃんの心拍が聞けること。
病院は産院だが婦人科もあるので、私の部屋は婦人科系で入院してる人。だから年輩の人もいる。
隣のベットの若い子は、早産。1800グラムで産まれた赤ちゃんはNICUにいる。お乳は張るが上手に搾乳できず、痛がっている。一日に何回か決まった時間にNICUへ赤ちゃんに面会に行くことになっているのだが、(NICUが)暑くているのがイヤだと言っていた。私だったらきっと一日中一緒にいたいと思うだろうなぁ。。。やっぱり若いからかな。。。
この頃、同じ病室にいる人達、みんなでタバコを吸いに行ったり、昼夜関係なく話をしていたり、チョット馴染めなかった。
その人達が退院した頃、隣のベットに予定日が私と近い、やっぱり切迫の妊婦さんユキエちゃんが入院。話が合う、ノリが合う。入院生活が一気に楽しくなる。
そしてこのころから、お腹の中でガスが上に上がるような感覚を憶える。病室でオナラを我慢してるせいかな?ユキエちゃんにそれを話すと、、、「違うよ、それ!赤ちゃんが動いているんだよ」


(続く) 


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